苦肉の策が尽きてきた

年々、あっさり好きに拍車がかかってきました。
昔のようにはいかないものですね。

どんなふうかというと、フライも殆ど食べたいといった思わなくなりました。

先日だったら、美味しそうな豚肉を見れば「トンカツ!」一辺倒の着想しか持てなかったほどの肉歓迎だったのに。
今は所帯のためにトンカツを揚げることしか考えられません。

当然、食卓に上がっていれば食べます。
も、トンカツ源泉だけではこってり過ぎて駄目。

レモンを絞ったり、付け合せに生野菜をたっぷりと食べないと胃腸がいっぱいになる前に胸がいっぱいになってしまう気がするほどだ。

そうして、それも駄目となると醤油フレーバーに移植。
醤油の方があま味がないだけ、スッキリという食べられます。

時折酢をたっぷりとかけて、二度と一切ごとを必ず投稿。
こうするという油インスピレーションが随分褪せるので、1世間は食べられるのです。

これ以外にも、油をできるだけ吸わないようにパン粉は細いものを使ったこともあります。
天つゆに浸して、油を落として食べたことも。

も、どの方法も数回で油っぽさを感じてしまい、これから英知も尽きてきました。

特別フライに執着しなくてもいいのですが、ぼんやり食べられなくなるのは寂しくもあり、また年に勝てなかったという敗北インスピレーションも感じてしまい・・・。

何かいい策略はない商品かと念頭を捻っています。

常識的想像力

芸術大学の出し物と言う言葉に対しては、それはもう自由闊達で瑞々しい若い発想による制作物を我々は期待するものです。
しかしあまりにも自由で好き勝手すぎるものは時としてとんでもない大惨事につながってしまうという事をたった今見せつけられたばかりでもあります。
木材で作ったジャングルジム状の構造物の中におが屑を詰めたものは、一般的な想像力の範囲において『効率よく燃やすための物に近い』と分かる必要があります。
これは芸術的センスではなくコモンセンス、常識と言う物です。
そんなわけで起こってしまった災害については「常識的想像力の欠如」というものを強く感じるわけです。
が、同時にその想像力の問題を個人の知力に帰結させるのにもちょっと違和感を覚えます。
というのも、火元となったと思しき白熱電球というものは触れば確実に火傷するほど発熱するというのを、子供のころからそれに触れてきた世代は経験則的に知っているわけです。
が、メインの照明器具がLEDという世代となると電球の発熱はヤバイという常識を必ずしも共有していないのではないでしょいうか。
世代が違う事による常識のギャップというのは、時にはこんな致命的な事態を引き起こしうるのかも知れません。
http://xn--e-fx-eq4c2bv127d02sc.com